Project Description

合格請負体験記

目標中学 : 灘中学

タイトル : 奈良県の和弘君

合格請負コースの秘訣

 合格請負コースもその時で10組目を迎え、10勝0敗と自信をつけていた時でした。合格請負コースは無謀な取り組みであるという厳しい評価や、根も葉もないうわさで酷評されることが多くなってきたときでしたが、私は全く意に介しませんでした。

サーカスの綱渡りは棒一本のバランスを取って細い綱の上を歩きますが、決まった手順をきちっとおこなうことで端から端まで綱の上を歩き切ります。私も綱渡りのコーチとしてそれを指導しているような気持ちです。練習の時には何度も何度も綱から落ちるのだと思うのですが、何度も落ちるとどうしたら落ちるかがわかります。逆に何をしたら落ちて、何をしたら落ちないのかの線引きも明確にできるようになるのです。極端に体重が重い、平衡感覚がない、高所恐怖症、こんな人は綱渡りに向きません。

受験を合格させることも全く同じなのです。危険だと思う合格の請負も決まった手順を行うと必ず合格するようになります。極端に成績が低い、落ち着いて集中を続ける我慢強さがない、志望動機がない、こんな人は受験に向きません。

綱渡りと違うところは、何度も落ちることができない、というところです。模擬試験で少しは試すことができますが、受験は一回だけなのでその日に向けての体調の管理は非常に大事になります。

厳格な家庭

 10件目になる奈良の銀行に勤めておられるお父さんから電話が入ったのは関西の中学入試が明けてすぐの時でした。話を聞きたいので家に来てもらえないか、ということでしたので家族の方にそろっていただきお邪魔することにしました。

この家庭の一番のネックは「お父さんが厳しい」ということでした。躾がきっちりされている、と言えば良い言い方ですが、箸の上げ下げまで注意するお父さんの教育方法に大きな問題がありました。お父さんは銀行でもやり手であると聞きました。支店長として地位もあり、大きな仕事もまとめてきている実績があり自信に満ち溢れていました。その影響が家庭にも広がっており、この家は彼の職場のような雰囲気に包まれており家族全員がピリピリしているのです。最初にお茶を出されたときに「いらっしゃいませ」と言われたのが今でも忘れられません。私が直感で感じたことはこの家庭からの合格請負コースの依頼は受けないでおこう、でした。なぜそう感じたかというと、過去にここまで出しゃばるお父さんがいる家庭で超難関校受験を乗り越える経験を私が持っていなかったのです。なぜうまくいかないかはわかりませんでしたが、お父さんのデバる家庭は受験どころか事件が発生するほうが多い気がしていましたのでこれは早々に退散しようと思っていました。子供が不登校になる。お母さんの強烈な我慢の上に家庭運営が成り立っておりひそかに離婚を考えている(笑)。兄弟同士に差別がある。など事件発生が目の前におこりそうな状態がこの家庭でも起こっていました。

そこからお父さんの独壇場が始まりました。由緒正しい家柄であること、経済的には問題がないこと、学歴についても一家大学卒であり、親せきに教授がいることなど。長男和弘の受験にとってはなんのメリットもある話ではないのです。むしろ、最大のデメリットがお父さんの存在でした。支店長としては優秀かもしれませんが、中学受験の指導に関しては素人です。しかし、その素人が口をはさみ日々和弘に意見を言う環境で12か月を一緒に過ごすことは無理でした。最初の直感通り、合格請負コースについては引き受けることができませんとお断りしました。そうすると驚いたかのように金を払うのだから引き受けろ!と迫るのです。いくつかのことをお話しした後、きっぱり断るためにも「お父さんが邪魔である」ことを伝えました。場の空気が凍り付き、禁断のゾーンに入ったことがわかりました(笑)。

その日はそそくさと家庭を後にして二度と会わないだろうと思いながら近鉄電車に乗りました。

お父さんの決断

 しかし、その1週間後、お父さんが事務所にやってきたのです。

「あれから考えたのだが、お金を出すので何でも引き受けてもらえるのかと思っていたがそうではないのだな。では、どうしたら和弘が灘中に合格できるかを教えてくれないか。その通りするからお願いしたい。」と態度を変えてきたのでした。

熟考した後私が伝えたのは、「転勤してください、単身赴任で。一年間だけでいいです。」でした。

「そんなに私は邪魔なのか。」

「はい、受験には邪魔だと思います。」

うーん、と唸るお父さんとそのあと、和弘がどうやったら合格するかについて話をしました。和弘の学力はたたけば伸びる子どもです。お父さんの性格がキツイのか引っ込み思案なところはあるのですが、非常に言うことをよく聞く子どもなのでいい先生の指導の元、最小限の力で大きく成績のアップする子どもであることは先生方からの報告に上がっています。「素直に人の言うことを聞くこと」。これはすごくよい性格で、一番成績の上がる子どもの性格が何か?と私が聞かれたら迷わずこれを伝えます。そんな資質のある和弘は伸ばしがいのある受験生でした。

支店長がすぐに転勤などできません。しかし、お父さんの動きは素早く大阪市内に部屋を借りそこに住むことができると伝えてきました。驚いた私は今度は私が逃げれなくなってしまいました。計画を考えて、和弘の診断授業を行い、お母さんと何度も話し合いました。何度も何度も。その後、今回の合格請負コースを受託したのでした。

合格請負コーススタート

 もともと和弘の偏差値は60から65くらいはあるが、成績的には狙えても絶対に合格するレベルではありません。そこで私が考えたのは以下の3つ。

  1. 最小限の勉強時間で最大の効果を得れる無駄のない勉強スタイル
    • 大学進学レベルの物理が進学塾の授業で出てきたりするがそのような授業は受講しない、とかもこの時に決めました。100点の理科は50点でよい計算でした。
    • 得意の算数は難問を捨てる練習。これが最後には効いた気がしてます。本人7割5分の150点を狙っていましたのでできる問題を全部正解する、がテーマでした。
    • 国語は半分の100点。詩や物語は捨てて一日目の語句中心の問題を満点目指して得点する。同時にこれを10月までに仕上げる。
  2. 灘中に合格しなかったら公立中学に進学する、という覚悟の受験。
    • 滑り止めの話は一切せずに灘中に限定しました。前年の合格最低点が300点程度だったので確実に6割を得点することに徹したのです。「6割で合格する」が合言葉でした。
  3. やり方については和弘が決定

これは我々が選択肢を出して和弘に決めさせる、というものでした。実際決定しているのは我々でしたが彼の今後の自信と父親へのけん制の意味も含めてこの体制でいきました。

最終的には塾のクラスでは上から2番目までしか進みませんでした。灘中模試もD判定が一番良い成績で、12月の公開テストは最大級の失敗をしました。実はこれが良かったのではないかと思います。12月くらいに合格するかもしれない、という甘い雰囲気を私は一番恐れます。合格請負コースの秘訣のひとつは12月に「だめかもしれない!」と感じれることです。おかしなことですがその危機感が最後のひと月を作り上げます。

お母さんの思い

 中学受験は本来母親と子供の二人三脚です。父親がいなくなった母親は、その責任を裏で父親から迫られているのでしょう。2週間に一度は喫茶店でコーヒーを飲みに行きました。生駒駅近くにある小さな喫茶店は今でも私の思い出です。私がしていることはお母さんの心のゴミ掃除。沸いては消えていく不安、和弘の成績が上がらないことへの焦り、周りの人からの意味不明な噂話など、お母さんの心はいつもどんよりとした曇で満たされていました。それを一つずつ解消していく作業。私からすると話を聞いているだけでしたがいつも帰るときにはすっきりとした顔になってもらい、帰っていくお母さんの向こうに頑張る和弘があるんだと思い2時間が3時間になる話をたくさん聞いたのが思い出です。ご夫婦の話にも及びましたがここでは割愛します。

最後の追い込み

 12月の公開テストはズタボロでした。算数は解答欄の書く行を間違えるというわかりやすい失態。国語は頭が真っ白になったという偏差値50。理科だけ80点という過去最高得点。

これで和弘の心が燃えましたね。あとひと月が勝負であるということは春の時から伝えていました。二人で競馬のビデオを見てたのです。いつも私が見せる競馬のレースがあるのです。そのレースは4コーナーから一頭の馬がすべての馬をごぼう抜きするレースです。個人的にこのレースが好きなのですが、「この馬が和弘やで!お前が全部の馬をごぼう抜きするねん!このレースを何回も見ろ!」と言ってました。イメージはすごい大事なのです。

公開テストの点数がダメだったことと灘中模試でも芳しくない和弘は塾でも大して相手にされなかったらしいです。しかし、1月10日に私が戎神社に行った帰りに塾帰りの和弘と一緒にチョコレートパフェを食べに行きました。その時の和弘の目を見て、こいつは合格すると確信しました。何がそう思ったのかわからないのですが、余裕を感じれたのと自分しか合格しないという自信とであふれていました。

当日、発熱だけが心配でしたが何のことはなく、345点で合格したと聞きました。

戻って来たお父さん

 合格を一番喜んでいるように思えたのはやはりお父さんでした!私を料亭のようなところに連れて行っていただきました。今思うと、プライドの高いお父さんが家を出て我々に任せてくれたこと、和弘が素直で先生方の言うことを忠実に守るその性格が勝利の理由だった気がします。

今でもそのお父さんとは銀行のことについてたくさんのアドバイスをもらう関係になっています。

合格請負コース

LINEから問い合わせる